写真の中
考えたこともなかった。
思い返せば父親と二人になってからここ2年くらいまでの記憶がほとんどごっそり欠落しているではないか。鮮明に思い出せる昔の記憶といえばcharの闘牛士のLive映像を見た時のこと、これは10歳の夏、初めてギターを触った日のこと、これは11歳の冬、ハヌマーンのリボルバーを聴いた日のこと、これは15の冬、もう物心がっしっかりついていた頃の記憶であり今の私の全てなので覚えていて当たり前のこととも言えるが。
結局のところ一番古いと信じてきたそれ以前の記憶も幼い頃のアルバムに残っていた写真の切り抜きでしかなくそれはその記憶を写真越しに覗いただけであってわたしという存在自体が記憶しているわけではない。
だが私という存在がはいっている記憶がないだけで、私以外の、例えば場所のことは思い出せる。記憶というのはありがちだがひどく曖昧だ。
だがたとえ思い出せなくてもその一つひとつが今の私を形成していることは確かである。
きっとその時々に思い出すべき記憶は勝手に思い出せるのだろう。
記憶とはそのための伏線なのである。