想像して、明日を思い出すよう
パソコンにこぼさないように。
久しぶりに覗いてみた、生きた記録
よっぽど無理してないか・?人生のはぐるまや不条理、電気ケトル、自転車に乗る夜。
私が求めていたものは何?理解などほど遠く、今もまだ。
5年も経ってもあの頃の気持ちは
パスカルのパンセ、人間は考える葦である。この言葉にいつも帰結する。
良心を痛めること、この左腕に刻むこと、ひとつひとつに気持ちを持ってはいけない。
考え続けることが人間の証であり、人間が行う行為の中で最も尊いことなのならば風俗嬢の私でも、すべてを許せるのではないだろうか。
人間の選択肢はいつ決まるのだろう、
通知音にかき消されるこの言葉も。
何かの真似事でも探してみる。自分を救うのは自分しかいない、
その言葉は救えた人間の言葉だ。あっけらかんと生き始めたら興味を失う。
少しの声も拾って生きる人間になりたい、今何かを愛すること、理解を極めること
幸せについて考えること、こうして曲を聞くこと。
出来心で許されるかな?こうして書き溜めていてもどこにも行かない。
ひとりだから、